Profile
ごきげんよう masumi です
私が会員になっているホリスティック医学協会の定義のなかに
5. 病の深い意味に気づき自己実現をめざす
があります。 深いテーマですね。
ひとりの女性として、母となり育児や家族の健康管理する際には、ハーブ療法やホメオパシー、テルミー等のホリスティックセラピーと共にありました。
少し長くなりますが、自己紹介として私のHoristic Life の道のりにおつきあいください。
高校を卒業し進学のため上京、卒業後は住宅メーカーのインテリアアドバイザーとして働き、20代半ばで結婚するまでは、バブル後期の時代感もあって大いに社会勉強していました。笑
多少の無理は効く若さや勢いがあったし、当時は仕事も遊びも一生懸命やるのが◎ 毎日がキラキラしてたと思います。
当然、結婚してしばらくすればこどもに恵まれると思っていました。現実は違い、デザイナーとして独立したばかりだったダンナさんの昼夜逆転+定休ナシの生活スタイルに合わせられず、からだを壊してしまいました。
慣れない家事や結婚生活のストレスもあったと思います。
気持ちの落ち込みや食欲不振、不安感から自律神経失調症と診断され、投薬も受けました。
なぜこういう状況になったのか …ショックでした。
回復に3年ほどかかり、はじめて妊娠しますが 流産。
産婦人科に相談したところ、検査の結果は双方問題なく、まだ若いので治療せず自然に任せて、という事でした。
先生の言葉に安心したものの、腑に落ちないような・・・。
なぜ違和感をほったらかしにしたのでしょう。
もっとちゃんと自分のからだに向き合ってさえいれば。
ただ赤ちゃんを待つ毎日。
前向きな治療をしているでもないのに、お友達の赤ちゃんの報告はつらくて。 次第にこどもの話題はタブーとなりました。
そして2年後に2回目の妊娠。
・・・今度こそはの祈りが届くことはなく
赤ちゃんは4ヶ月目でお空に旅立ちました。
せっかく授かった命を無事に産んであげられなかった罪悪感で、自分がどうかなりそうでした。
私は30代を迎えていました。
産科のお医者さまは検査の結果、赤ちゃんにも私にも妊娠を継続できない要因がなかった事やこうした例は一定数ある事、さらに積極的な治療の説明を受けました。
長い入院生活のなかで見た光と闇。
もう自信がなくなりかけていました。
そのとき 今のままじゃダメだ! 強く思いました。
自分を助けられるのは 自分 だけ。
その後ご縁を頂きました 気功整体 S先生。
病弱だったご自身を野口整体と合気道に出会い克服し、気の調整でからだを整える独自の操体をなさっていました。
あなたは「妊娠する力」はあるんだよ、心配ない。
あとは心とからだを整えるだけだよ、だいじょうぶ!
明るく励まし、操体とともに夫婦で日々の生活で気をつける事を指導してくださいました。
それは日々『養生する』という考え方。
からだをあたため、冷やすものを食べない陰陽に基づく食養法、5本指ソックスや腹巻のすすめ、日々の足湯、梅醤番茶。
こころをあたため、緩める事。腹式呼吸、環境や人間関係の見直し。
もうひと方、中医の資格をもつ 漢方のT先生。
漢方で消耗した心身の回復を助けてくださいました。
木を見て森を見ず的な西洋医学とは反対のアプローチ。
不妊とか不育 自分を苦しめていたword - 概念 - は消えていました。他人と比較し、勝手にかわいそうな人になっていた私。
そればかりか「赤ちゃんは授かりもの」
とからだに向き合わず目を背けていた弱い自分、お医者さまをアテにし人任せだった甘ったれた自分 に気づかされました。
自分を顧みず突っ走ってきたこれまでの生き方も。
それから1年程で妊娠し、助産院で自然出産することが出来ました。母乳育児、自然育児友の会、風水、ホメオパシー、自然療法、フィトテラピー。
40代でもう1人授かり、子育て 自分育ては続いています。
私は母になるのに10年かかりました。
年子で産み早々に復職するかたもいるなか、自分を不甲斐なく思う日もありました。
50代に突入し、これまでの自分の体験をシェアし役立てていく事、また無知であった自分を振り返り、必要とされる方に伝えていく事に意味があるのではと思うようになりました。
少子高齢化社会の日本では、さらに一人一人の意識が持ち方が重要となってくるでしょう。
労働人口が減に転じたなか、健康寿命を延ばし本当に必要なひとに医療が届けられるよう、Horistic 体、心、魂 全体で調和していく『生き方』 ご一緒にかんがえていきませんか
長くなりましたが、健康でよりよい人生のお手伝いができましたら幸いです。
TRINITY LUXE 代表 橘田真澄